完全でない自分との対話

「自分で自分を革命する」イベント終了後のシェア

2月3日から2月5日にかけて行いましたヒーリングイベント「自分で自分を革命する」を開催させて頂きました。

イベントにご参加頂きました方々、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。

 

今日のブログでは、

イベント後翌日に、セルフワークを兼ねたライトワークを行いました。

その事について、シェアさせていただければと思います。

今回のイベントの発端として自分の研究テーマがあったのですが(前回のイベント案内ページ参照

その研究をしようと思った動機に、過去に体やメンタルの不調和に悩んだ自己体験がありました。

 

ある日突然、気がついたらベットから起き上がれない。

病院に行っても更年期の症状で片付けられてしまい、対処方法はなし。

自分でどんなセルフワークをしても効かない。

これまでの自分の経験値、価値観では対処できない状況に、

これまでの自分を超えて(超えるために)病がやってきた〜!と、思いました。

 

自分を超えるための病からの気付き

当時の私は、どうしても完治させたかったため、

医療機関や民間機関をめぐり歩き、自分の症状と関連のある書籍をがむしゃらに読みあさり、

スーパーバイザーにサポートして頂きながら生活する日々が、2年半から3年ほど続きました。

 

復活して気がついたことは、全力で走っていたら見えなかったことが見えてきました。

例えば、体のケア、心のケアの仕方。

以前の自分の体とは異なっているので、

日々自分を丁寧に、大切に扱わないとならなくなり、自己ケアに費やす時間は圧倒的に増えました。

ただ、自己ケアを通じて自分を見て、気付いたことは

“自分を大切にすること”の本当の意味です。

 

完全でないことの素晴らしさ

実体験としてお伝えすると、

自分を大切に生きると、体と心は仲良しになります。

心と体が仲良くなれば、

流れる時が優しく感じ

心が豊かさを知り始めます。

そして

少しずつですが、魂とつながった本当の自分の声が聞こえてきます。

 

自分の声を聞きながら歩む時間の積み重ねは、

私に、人生の”間”を、教えてくれました。

 

”間”をあえて言葉で書くなら、

時と時の間

時と自分の間に流れる

ちょっとした無の時間、自分に帰り自分に在る時間のことです。

 

どんなに忙しくても、

ふと流れる時を感じて、ひと呼吸おいて、自分の中に流れを感じてみる。

「流れゆく時の中で、不完全な自分を見守るような感覚」

私にとっての”間”の感覚は、そのように感じます。

 

不完全な自分の部分は、自分の欠け(欠点やネガティブな部分)とも感じますが、

見方を変えて

欠けは、自分の余白と感じるとどうでしょう。

一流芸術品でも、わざと欠けがあるものは、たくさんありますよね。

その自分の欠けを、積極的に愛してみる。

欠けは、愛することで形を変え、自分にとって素晴らしさであると気が付くはずです。

 

そんな日々を過ごしていたら、体の具合も良くなって

結果的に

ヒーリングを受け取ること

ヒーリングを感じること

ヒールングを行うことが

とても良くなりました。

(手前味噌ですが・・・たぶん、施術は前よりはほんの少しだけ上達したと思います。。。)

 

間って言われてもなぁ・・・とお感じの方のために、またイベントを行いたいと考えております。

言葉を超えて、感じることの大切さも含め、エネルギーや波動としてお伝えできたらいいなと思います。

間の感じ方は、十人十色と思います。

よろしかったらこのページから、枠を決めず、何か感じ取って頂ければ幸いです。

 

追記:

間の感覚って、日本人独特のようです。

歌舞伎でも、間はとても大切にされていますよね。

この目に見えない微妙な「間」の取り方ひとつで、出来・不出来を左右してしまうほど大切なものだそうです。

「間」の取り方が悪いと、舞台を壊してしまうので、「間抜け」と言うのだそうです。

 

長文お読み頂きありがとうございました。